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【調査報告】沖縄本島 チリ地震津波を伝承する石碑を訪ねて

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■沖縄本島にも津波被害を伝える石碑

2016年6月最後の週末。すでに梅雨は明け、沖縄本島は連日の快晴に恵まれていた。沖縄本島の「チリ地震津波」の被災を伝える「屋我地大橋」「旧真喜屋小学校」「大浦地区」の3箇所の石碑を紹介したい。

 

1960年5月23日、観測史上最大のマグニチュード9.5(Mw=モーメントマグニチュード)を記録した「チリ地震」が発生。日本からみれば地球の裏側で起きた巨大地震の津波は、翌日には日本沿岸部を含む環太平洋全域を襲う。日本全国の死者は119名。行方不明者20名。東から津波が順次押し寄せ、特に東北沿岸部の被害は甚大であった。そして、沖縄にも朝6時過ぎ、津波が襲来した。沖縄本島の大浦地区では3.3メートルの津波が沿岸部を襲った。

 

沖縄を襲った地震津波といえば、1771年の八重山地震津波が最も大きな津波として記録に残っている。石垣島が特に被害が甚大であり、島の4割が波に洗われたという。石垣島ほか沖縄離島の死者数は9313名だった。津波で打ち上げられた巨岩が石垣島や宮古島で「地震石」「津波石」として残されており、その脅威を現代に伝えている。

 

さて、沖縄本島を襲った「チリ地震津波」に話を戻そう。

沖縄本島でチリ地震津波の自然の爪痕を探すことは難しい。そこで、ある程度有名な伝承碑を巡ることにした。冒頭でも書いたが、「屋我地大橋」「旧真喜屋小学校」「大浦地区」の3箇所の石碑(いずれも現在の名護市)を順番に紹介させていただく。

 

■屋我地大橋の流失を伝える碑石

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沖縄県名護市北部の絶景の離島群。北から古宇利島、屋我地島、そして奥武島。屋我地島と奥武島を結ぶ「屋我地大橋」は、チリ地震の津波で流失した。太平洋側でない沖縄北部西海岸にまで津波が回り込んだという事実に驚愕せざるを得ない。チリの震源から太平洋全域に四方した波は、ちょうど日本近海で収斂し、大津波に形を変えたのだ。

 

奥武島側の橋の入り口のパーキングエリアの繁みの中にひっそりと立てられている石碑を発見。波の形を象っている。石碑には以下の記述がある。

 

屋我地大橋の歴史

1953年に完成した初代の屋我地大橋は、わずか7年後の1960年、地球のほぼ裏側に位置する南米チリでおこった地震がもとで発生したチリ津波により流失してしまいました。その後二代目の大橋が1963年に復旧されましたが、1993年、塩害による劣化及び幅員が狭いことから取り壊され、現在の3代目の大橋(全長300メートル・幅員12.5メートル)が完成しました。

 

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■真喜屋小学校等の津波被害を伝える石碑

 

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同じく名護市真喜屋。奥武島の南部の沖縄本島沿岸部分。ここには、かつて「真喜屋小学校」があった。現在は広い運動公園になっている。運動公園の片隅に石碑を発見する。

 

石碑の記述は大変詳しく教訓を伝えようとしていることが見て取れる。

 

津波被災地跡

1960年(昭和35)5月23日午前4時11分ごろ南米チリ中部の近海でマグニチュード8.5の地震が起き大津波が発生した。津波は時速約750km(秒速約200m)の速さで太平洋を横断 翌24日未明には日本沿岸を襲い、死者139人を出した。

沖縄では、同日午前5時30分ごろからおもに久志村・羽地村(現名護市)石川市等で数回にわたって来襲、甚大な被害を被った。

当地には、真喜屋小学校があったが 津波によって全校舎・校地が破壊され校地移転を余儀なくされた。地域では死者3人、学校裏の護岸及び屋我地大橋(146m) 奥武橋が全壊した。

この被災を教訓として 地震・津波の防災のために生かしたい。

 

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■大浦区公民館前に建立された「津波襲来の碑」

 

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名護市大浦地区。奥まった湾にマングローブの林が広がり、海にはジュゴンも訪れる。

大浦区公民館前には、樹齢120年のガジュマルがあり、「大浦アサギ庭(みゃー)のガジマル」として名護市指定の天然記念物になっている。ガジュマルの近くにあり、戦争で一部が焼けながらも生き長らえた天然記念物「大浦のイチョウ」とともに、パワースポットとしても脚光を浴びているそうだ。

 

地域から親しまれているガジュマルの下に石碑がある。津波を体験した大浦地区ご出身の比嘉勉さんが寄贈されたものである。

 

津波襲来の碑

1960年5月 南米チリ中部近海でM8.5の巨大地震が起き大津波が発生 時速700kmの速さで太平洋を横断 5月24日未明 日本近海を襲った

当地では午前5時半頃から数回に亘り襲来 津波高5mにも及び大浦橋が全壊 護岸も決壊 全家屋浸水し 生活用品 家畜等が流失 消滅した

この被害を教訓として地震津波の防災に活かし後世に伝えるため

この碑を建立した

 

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石碑には崩落した大浦橋の写真もはめ込まれ、伝承の工夫がなされている。

 

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■沖縄本島に点在するチリ津波伝承碑の思い

 

今回沖縄本島の訪問が決まった時、沖縄本島は地震被害の少ない土地だという勝手な思い込みがあった。大いに反省しておきたい。少し調べれば、日本における有史最大級の津波の発生、チリ地震津波、そのほか記録されている地震が相当の頻度に上ることがわかった。そもそも、「津波」(つは)という地名が、沖縄本島の「西」海岸側に現在も存在しているし、沖縄出身の方で「津波」姓の方もいらっしゃる。かつて何らかの被害があったことは間違いないのではないかと考えられるが、調査不足をご容赦いただきたい。

確かに沖縄本島で遺構や地形上の目立った痕跡を見つけることは困難である。しかし、こうして所々で伝承の石碑が存在していることからも、津波経験者の思いを感じとることができる。まだまだ知らない石碑は多いと思われるが、ひとつの訪問記録として残しておきたい。日本はどこでも災害がおき、そして防災の取組が不可欠であることを再確認した。

 

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古宇利島より屋我地島を臨む

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名護市大浦区の橋の近く

【主要参考文献・ご協力】

日本地震被害総覧 599-2012(宇佐美龍夫・東京大学出版会)

沖縄タイムズ(2014年2月11日)

琉球新聞(2012年4月11日)

久志支所管内地域限定広報誌『久志間切』(2012年5月1日号)

今帰仁の皆様

内閣府沖縄担当部局