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【コラム】阪神・淡路大震災から23年、沖縄平和記念公園の祈り「人と自然、人と人」

2018年1月17日。温かい雨の降る冬の沖縄。

 

翌日に沖縄県庁にて災害と個人情報に関する講演の講師を控え、足を伸ばして沖縄南部の戦争遺構を巡った。そのひとつ「沖縄平和記念公園」を構成する慰霊ゾーン「摩文仁の丘」にある都道府県慰霊塔。

 

奇しくもこの日は阪神・淡路大震災(1995年)からちょうど23年が経過する日であった。この時生まれた子供たちも立派な社会人であろうか。私は高校生だった。学校に行くために6時前に起床、いつもの朝のテレビを付けたら画面は真っ暗。そして赤く燃える火。神戸の街が燃えているという映像だった。仰天して親を起こす。祖父母が京都、従妹家族が兵庫県西宮市に住んでいた。幸いみな無事だったが、西宮の叔父の自宅は倒壊こそしなかったものの全壊だった。

 

沖縄記念公園の兵庫県慰霊塔は「のじぎくの塔」と名付けられている。白い小さな野菊、兵庫県の花だ。「のじぎくの塔」は1964年(昭和39年)に完成している。そして1995年の戦後50年に改修がなされた。その際に、設置された碑文を紹介したい。

 

 

『人と自然、人と人、人と社会の共生をめざして』

 

戦後50年を記念して、のじぎくの塔苑地を改修し、改めて沖縄戦で犠牲となられた御霊のご冥福を心からお祈りいたします。

奇しくも本年、故郷兵庫では、阪神・淡路大震災が発生し、多くの尊い生命が失われました。戦争や災害による悲劇が二度と繰り返されることのないよう、人々が安心して暮らせる共生社会の実現をめざして、県民こぞってたゆまぬ努力を続けてまいります。

 

兵庫県知事 貝原俊民

 

兵庫県民を代表した並々ならぬ決意と、悲劇を乗り越え伝承する思いが伝わる。2014年の貝原知事の急逝は多くの県民、日本人が涙した。

 

このような石碑の存在は、偶然この日が1月17日でなければ、知ることはなかっただろう思う。無知を恥じながらも、兵庫から遠く離れたここ沖縄も、同じ空と海で繋がっていると感じる瞬間であった。

 

 

 

 

なお、沖縄にも、チリ地震の津波被害を伝承する碑文が本島各所に点在している。およそ語られることのない沖縄の津波被害だが、確かに犠牲も被害も存在していたのだ。詳しくは「【調査報告】沖縄本島 チリ地震津波を伝承する石碑を訪ねて」(2016年6月)をご参照いただきたい。